中観思想・学びのすすめのトピック

死後がないというもう一つの根拠
2017/02/22
投稿者
来生
内容
 かって金剛居士さんが、科学的に死後がないと主張されていましたが、愚道さんはあると信じていましたので、日本仏教の公式見解はないと思っていました。

 数年前NHKで「100分で名著 般若心経」が放映されて、その中におおよそ次のような見解が述べられていました。

 「色即是空であるから、物体の概念は空。

 空即是色は瞬間を切り取る(写真)芸術。

 五蘊皆空であるから身体は仮の姿。

 例 本でも本を知らない猫にとっては本ではない。
   紙の集まり、もしくは赤と白の金色の集まり、あなたの心が決めているだけで、本は実在しない。」

 これが日本仏教の公式見解ですね。

 色即是空は直訳の文字どおりの解釈で、空即是色は文とは違う意訳が行われています。ここがおかしいと思います。

 この考えで、善勇猛般若経の真如を読むと、その中の特徴ある2例は次の通りになります。

 例 1  善勇猛よ、実に物は物としての固有の実体を離れたものである。

 例 2  善勇猛よ、実にものは生死流転せず、あるいは生死流転する性質のものでもない。

 そしてそれぞれその最後に「このことが智慧の完成である。」と結ばれています。

 智慧の完成という限定条件で説明しているのに、色即是空だけを真実として、両例とも字句通り実体がなく、生死流転はあり得ないと早合点したのが、死後がないという統一見解となったと思われます。

 これがもう一つの根拠であり、それが決定した後に科学的にも死後はあり得ないと断定したのだろうと思います。

コメント 1件

来生
来生さん

02/26 [14:16]

 ここのフォーラムではすでに何度も説明したように、空即是色も色即是空と同様に直訳すれば、智慧の完成という条件ではなく、真実である現実は、物には固有の実体があり、生死流転をするのが真如であることになります。

 このことをコメントの賑やかな別のフォーラムに、コメントの期待を込めて次のように投稿しましたら、ここのフォーラムと同じようにすっかり無視されて、その本旨には何らコメントが付きませんでした。

 単なる文法の問題だけなのに不思議ですね。

         空即是色

 般若心経で「色即是空」は重要視されているが、「空即是色」は軽視される傾向がある。

 それらは常に一対で記述されているから、「空」が真実ならば「色」も真実でなければならない。

 従って「諸法空相」の対として「諸法色相」が記述されてしかるべきである。

 「諸法色相」の特徴は「生滅 垢浄 増減」であり、これは常識的に理解されているので、あえて省略したのであろう。

 「諸法空相」はビッグバン以前に存在していて、真実であるが現実ではない。

 「諸法色相」は真実であり且つ現実である。

 「空即是色」とはそのことを示しているのである。