三密堂【密教関連】のトピック
- 『般若心経秘鍵』9
- 2014/01/13
- 投稿者
- 愚道
- 内容
-
「この故に誦持・講供すれば則ち、抜苦与楽し、修習・思惟すれば則ち、得道起通せん。甚深の称、誠によろしく然るべし。
余、教童の次でに、いささか綱要をとって、かの五分を釈す。釈家、多しといえども、今だ此の幽を釣らず。翻訳の同異、顕密の差別、ならびに後釈のごとし。
あるひと問うて云く、般若は第二未了の教なり」
これを現代語訳すると、
「以上のようなわけで、『般若心経』を常に唱えて護持し、人々に説いて仏に供えるならば、苦しみは除かれ喜びが生じ、この経の内容を習い修めて思惟するならば、必ず悟りを得て、神通力を顕現します。こうしたことから『般若心経』は甚深と呼ばれ、まことにふさわしいと言えるでしょう。
私は、弟子たちに『般若心経』を教える際に、全体を五つに分けて講義します。釈家(経典註釈家)は多くいますが、この深いところに言及したものは、いまだにありません。翻訳による同異や、顕教と密教の違いなどは、後で解釈する通りです。
ある人が質問して、『般若経』は有教・空教・中道教の三時に分けたうち、第二時の未了義教(いまだ真実を説きつくしていない)にあたります、と言います」
となります。
コメント 1件
2014/01/14 [22:05]
愚道さん、こんにちは。
>誦持・講供すれば則ち、抜苦与楽し
これは利他行ですね。般若心経を講説するのは一般の人には難しいでしょうが、我々のようにネットで話題にするのも利他行になるのではないかと思っています。これをきっかけに仏教を学んでいく人が出てくれば、間接的ではあれ大いなる利他行でしょうからね。
>修習・思惟すれば則ち、得道起通せん
こちらは自利行ですね。菩薩は利他を優先するとかいって、じつは修習・思惟をさぼっている仏教徒が多いのではないでしょうか。神通を起こすのは困難ですが、仏道を得ることは比較的容易でしょう。道を歩みつづけて仏果に至るのは至極困難でしょうが。
>あるひと問うて云く、般若は第二未了の教なり
これは法相宗の人でしょうね。彼らは、般若経(および中観派・三論宗)は無に偏りすぎているという見方をします。
~Φ 金剛居士 Ψ~
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