仏教喫茶室のトピック

『般若心経』の戸籍の問題
2013/11/29
投稿者
愚道
内容
『般若心経』は『般若経』の精要が簡潔にまとまった経典として知られている。この『般若心経』の戸籍、つまり氏素性が結構怪しいのである。

従来の仏教学ではナーガールジュナ(龍樹)が『大智度論』を著した2〜3世紀ごろに、ナーガールジュナが属する中観派というグループの手によって、『般若経』をもとに『般若心経』が創作されたと考えられていた。

ところが1992年に、アメリカのインディアナ大学の Jan Nattier准教授 が“ The Heart Sūtra: A Chinese Apocryphal Text? ”〔Journal of the International Association of Buddhist Studies ,vol.15 ,no.2 ( 1992 ) , pp.153-223.〕 という論文を発表しました。

この論文では、鳩摩羅什訳の『摩訶般若波羅蜜経』などをもとにして、玄奘が『般若心経』をまとめ、それをさらにサンスクリット語訳をしたというのです。つまり『般若心経』は「偽経」だというものです。

ここで仏教の学術用語としてはっきりしておかなければならないのですが、「偽経」とは釈尊が説いたかどうかを判別するものではなく、中国で新たに撰述されたものを指します。大乗経典はすべて釈尊の真説ではありませんが、しかし、インドで撰述されたものは「偽経」とは呼ばれません。

『般若心経』の偽経説は、だんだん定説化しつつあるようです。たしかに『般若心経』は『般若経』などと違って陀羅尼を重視していたり、偽経の匂いがします。玄奘の漢訳と同時代以降しかサンスクリット文が見つかっていないのも、それならば頷けます。

まぁ、もともと釈尊の金口の経典ではありませんが、しかし、釈尊の縁起の思想を「空」の一言でうまくまとめた秀逸な経典であるとは思いますので、偽経だとしても読誦するのには適している経典ではありましょう。

コメント 6件

金剛居士
金剛居士さん

2013/11/30 [18:13]

愚道さん、こんにちは。


そうですか。私はインドでもともと作られていたと思うんですがね。

なによりもまず、鳩摩羅什訳『摩訶般若波羅蜜大明呪経』という般若心経(小本系)の異訳があるのはどうしてくれるんだあ~(^^;と思いますよ。鳩摩羅什は玄奘より前の時代の人ですからね。中国撰述にしても、最初にまとめたのは鳩摩羅什でしょ。まあ、玄奘より後代に作られたものが鳩摩羅什訳として残っているのだという考え方もありますが。(^^;

それに、サンスクリット文が見つからないというのは、ひょっとしたらこれから見つかるかもしれないことをも意味していますし、そもそも最初は口頭で伝承されてきたのかもしれませんよ。あれくらいの長さなら、サンスクリットで学問をしていたインド僧なら簡単に憶えられたはずです。なにしろ中国人でないわれわれが般若心経を暗唱できるのですから。

般若心経の成立時期は少し遅くなるかもしれませんが、陀羅尼の重視は中国撰述の理由にはなりません。私はしばしば般若心経を全文サンスクリットで唱えますので、「ギャテー・ギャテー……」の部分と他の部分とに大きな差は感じないです。サンスクリットで唱えるのが陀羅尼だというのなら、私にとって般若心経はその全部が陀羅尼になってしまいますし、サンスクリットでお経を唱えるインド人にとっては、お経はすべて陀羅尼になってしまったりして。(笑)

それに、玄奘訳の般若心経とサンスクリットの般若心経とを比較してみる必要もあるでしょうね。「『照見』の箇所は動詞が二つあるのだが、それは玄奘があえて二つにしたのか?」とか、「『度一切苦厄』をサンスクリット翻訳時に削ってしまったのはなぜか?」とか、「『色は空性であり、空性こそが色なのだ』というサンスクリット文を『色不異空』の前に挿入したのはなぜか?」とか。漢訳時になぜ変更されたのかという疑問と同じく、偽経説をとるならば、その反対に変更された理由が検討されるべきです。

般若心経は摩訶般若波羅蜜経からの抜き書きだという見方もできますが、そうすると梵文の摩訶般若波羅蜜経と比較してみるのもいいかもしれません。おそらく同じ原語が使われているのでしょう。その場合、梵文の摩訶般若波羅蜜経から般若心経の梵文が抜き出されたと見るのが妥当です。すると、玄奘はインドで抜き書きしていたことになるでしょう。中国で玄奘は摩訶般若波羅蜜経の梵文を見ていなかったでしょうから。

さらに気になるのは、大本の般若心経がチベットで読誦されているという点です。玄奘が漢文の般若心経をインドで翻訳したとして、さて、それをインド僧が有難がって受持し、さらにはお経の体裁を整えるために増補するのだろうか、という疑問が残ります。

ところで、般若心経にはたくさんの異訳があります。中国で出来たのなら、わざわざ異訳を作る必要があったのでしょうか。もしサンスクリット般若心経が玄奘訳ならば、そして、それを中国人が知っていたとするならば、そんなに重宝されるとも思えません。



いろいろと想像を巡らせてみると面白いですね。私としては完全な反駁はできないですが、まあ入手できたらご紹介の論文を読んでみようかなとは思います。

・・・と思っていたら、この論文は既にネットにあがっていましたね。(Jan Nattier The Heart Sūtra でググるとトップに出てきます。) でも、長くて読むの面倒くさそう。(^^;




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愚道
愚道さん

2013/12/01 [10:51]

金剛居士さん、こんにちは。

私も全面的に『般若心経』偽経説を支持しているわけではないのですが、なんとなくその匂いを感じなくはないのです。

玄奘の創作ならば、彼の性格からして、経文の冒頭に、
「如是我聞」あるいは「聞如是」が入っていないのも頷けます。また、序分・正宗分・流通分の三文科経がそろっていないのも首肯できます。
もちろんそれをそろえた『普遍智蔵般若波羅蜜多心経』もあるのですが、これは明らかに玄奘訳に三文科経をそろえた創作でしょうね。

>なによりもまず、鳩摩羅什訳『摩訶般若波羅蜜
>大明呪経』という般若心経(小本系)の異訳が
>あるのはどうしてくれるんだあ~(^^;と思いま
>すよ。

これも結構怪しい感じがします。

>あれくらいの長さなら、サンスクリットで学問
>をしていたインド僧なら簡単に憶えられたはず
>です。なにしろ中国人でないわれわれが般若心
>経を暗唱できるのですから。

私は文章を書くことを生業にしてきましたので思うのですが、『般若心経』の簡潔さはもとの長い文章を何度も削って校正し、創り上げたものだと感じます。そうでなければ、『般若経』の要諦をあそこまで簡潔に仕上げることはできないと思います。

>般若心経の成立時期は少し遅くなるかもしれま
>せんが、陀羅尼の重視は中国撰述の理由にはな
>りません。

それはそのとおりだと思います。
しかし、思想的には中期中観派的なのに、空海も『般若心経秘鍵』で述べているように、『般若心経』そのものが陀羅尼的で密教的です。ちょっと違和感があるのですよね。

>「『照見』の箇所は動詞が二つあるのだが、
>それは玄奘があえて二つにしたのか?」とか、
>「『度一切苦厄』をサンスクリット翻訳時に
>削ってしまったのはなぜか?」とか、「『色は
>空性であり、空性こそが色なのだ』というサン
>スクリット文を『色不異空』の前に挿入したの
>はなぜか?」とか。漢訳時になぜ変更されたの
>かという疑問と同じく、偽経説をとるならば、
>その反対に変更された理由が検討されるべきです。

これもおっしゃる通りだと思います。

>さらに気になるのは、大本の般若心経がチベットで
>読誦されているという点です。玄奘が漢文の般若心
>経をインドで翻訳したとして、さて、それをインド
>僧が有難がって受持し、さらにはお経の体裁を整え
>るために増補するのだろうか、という疑問が残ります。

これは以前、金岡秀友博士にうかがったのですが、チベットやモンゴルで読誦される経典の中にも、結構、漢訳経典からチベット語訳されたものがあるそうです。

>般若心経にはたくさんの異訳があります。中国で
>出来たのなら、わざわざ異訳を作る必要があった
>のでしょうか。

前述のように三文科経等がそろっていないので、それをどうにかしたいと思った可能性はあると思いますよ。また『観音経』にしても、偈頌の処は偽経の疑いが濃厚だと言われていますし。

>もしサンスクリット般若心経が玄奘訳ならば、そして、
>それを中国人が知っていたとするならば、そんなに重宝
>されるとも思えません。

知らなかったと考えることもできますよね。
最初に述べたように、私も完璧に偽経説を支持しているわけではありませんが、なんとなくそんな感じもするのですよ。(^_^;)


金剛居士
金剛居士さん

2013/12/01 [23:25]

愚道さん、こんにちは。


>『般若心経』の簡潔さはもとの長い文章を何度も削って校正し、創り上げたものだと感じます。そうでなければ、『般若経』の要諦をあそこまで簡潔に仕上げることはできないと思います。

私もそう思います。陀羅尼というのは、そうやって記憶すべきことを厳選した備忘録だと思うんですよね。つまり、サマリーのサマリーのサマリーがダラニー・・・なんちゃって。(^^;

般若心経のもともとの形は、

iti prajñāpāramitā-hṛdayaṃ samāptaṃ(……とて般若波羅蜜多心が終わった。)

で終わっていて、sūtra(経)という語は入っていませんからお経ではなかったわけですが、メモ(陀羅尼)だったらそれでもいいわけです。

したがって、私も大本は後から作られたものだと思います。


>三文科経等がそろっていないので、それをどうにかしたいと思った可能性はあると思いますよ。

これは、私の立場からいうと、インド人がそう思って増広したということになります。かりに玄奘が般若心経を編集・翻訳していたとしても、彼は小本にしか関わっていないでしょう。


>また『観音経』にしても、偈頌の処は偽経の疑いが濃厚だと言われていますし。

そうですか。それにしては中国人もサンスクリットへの翻訳が上手いなあと感心します。まあ、漢訳に誤訳らしき箇所をときどき見つけますのでね、中国人がそんなにサンスクリットを駆使できたとは思えないんですけど。


>『般若心経』そのものが陀羅尼的で密教的です。ちょっと違和感があるのですよね。

逆に愚道さんに尋ねなければならないのですが、もし玄奘が般若心経を編集してサンスクリットに訳したとすると、玄奘自身が密教的だったということですか?

善無畏が長安に来たのが716年ですから、玄奘はその百年前にすでに密教的なセンスを身につけていたことになってしまうのですが。





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愚道
愚道さん

2013/12/02 [10:23]

金剛居士さん、こんにちは。

>逆に愚道さんに尋ねなければならないのですが、もし
>玄奘が般若心経を編集してサンスクリットに訳したと
>すると、玄奘自身が密教的だったということですか?

そう聞かれると困りますね。(^_^;)
ただ、密教的と言うより、呪術的な側面は結構あったようです。
これは金岡秀郎先生(秀友先生の嫡男)にお聞きしたのですが、『大唐西域記』だったか『大唐大慈恩寺三藏法師傳』には、玄奘が旅の道中、砂嵐を避けるためや盗賊の難から逃れるために経文等を唱えたと記録されている、と聞いています。

まぁ、『観音経』もそういう側面があるので、単純に密教的とは言えませんが、呪術的に経文等を唱える側面があったようですね。

ただ、『般若心経』の簡潔性と「空」と「無」ですべてを断じる切れ味のよさに、『延命十句観音経』と似た匂いを感じるのです。『大般若経』のすべてを唱えられない民衆のために、玄奘が、その要諦をまとめた可能性は結構あるのではないか、と考えております。


金剛居士
金剛居士さん

2013/12/02 [20:56]

愚道さん、こんにちは。


>『大般若経』のすべてを唱えられない民衆のために、玄奘が、その要諦をまとめた可能性は結構あるのではないか、と考えております。

私の場合は、そのまとめがインド僧の手によって為されて、鳩摩羅什がそれを漢訳して中国にもたらし、玄奘がそれを受けて翻訳し直した、と考えています。ま、これがオーソドックスな(もはや時代遅れの?)理解ですよね。


>玄奘が旅の道中、砂嵐を避けるためや盗賊の難から逃れるために経文等を唱えたと記録されている、と聞いています。

『唐梵翻對字音般若波羅蜜多心經』(No. 0256 http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/index.html)の序にもありますね。玄奘は天竺へ行く途中、益州の空惠寺道場内で梵本の般若心経を病気の一僧から口授されました。で、暁にはその僧は居なくなっていたそうで、なんか怪しげな話。(^^; でも、サンスクリット般若心経を口誦する僧が中国にもいたらしいことも意味しますね。

福井文雅『般若心経の総合的研究』によると、『般若心経』は当初は呪術的な用途に使われていた、つまり初期の密教経典として受容されたようです。仏教を世俗の人々に広めようすれば、それがいちばん手っとり早い道ですからね。

したがって『般若心経』は、いわば雑密にあたる経典だったと言えそうです。もし鳩摩羅什訳が偽物だとすれば、インドで6世紀に成立したと考えるのが妥当でしょうし、もし鳩摩羅什の頃には成立していたとすれば、4世紀にはインドで成立していたことになります。

ちなみに、『般若心経』に出てくる「咒」は、mantra(真言)の訳です。


でも、私としては『般若心経』は密教経典ではなく、『大般若経』六百巻のうち、その核心部分たる「虎の巻」(笑)にあたると思っています。・・・・・じつは「ギャテー・ギャテー……」の部分に私は真言秘密の不可思議力をほとんど感じないだけ。(^^;




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愚道
愚道さん

2013/12/02 [22:24]

金剛居士さん、こんばんは。

きっと金剛居士さんのことだから、空海の『般若心経秘鍵』にも目を通されていると思いますが、あそこまで徹底して心経の密教解釈をするのもすごいですよね。同書はまさに空海の天才を十二分に発揮しています。

密教解釈に基づけば、般若波羅蜜多だって般若菩薩の正式名称ですから、経文のすべてが密教色を帯びた陀羅尼に変じますよね。そして、日本人は往々にして、般若心経を陀羅尼のように受持してきたのではないかと思います。