インドと釈尊【原始仏教関連】のトピック

空と縁起
2013/04/12
投稿者
愚道
内容
 大乗仏教の根本教理は、やはり「空」になると思います。そして大乗仏教というのは、ご承知のように釈尊が直接説いたものではありません。釈尊とその弟子たちの教法を知ることができるのは、時に小乗経典と貶称される漢訳の「阿含経」とパーリ語の「五ニカーヤ」などの原始経典群になります。
 では、原始経典群での根本教理はなにかと言えば縁起になります。大乗では「空」、原始仏教では「縁起」と言うと、人によってはまったく別々のものを根本教理としているように思えるかもしれません。しかし、「縁起」と「空」は表裏一体のものです。
 『仏教語大辞典』(中村元著・東京書籍刊)で【空】を見てみると、
「(1)うつろ。言語śūnyaは、ふくれ上がって中がうつろなことの意。転じて、無い。欠けた。またśūnyaはインド数学では零を意味する(2)もろもろの事物は因縁によって生じたものであって、固定的実体がないということ。縁起しているということ。śūnyaという語は、合成語の終わりの部分として、『…が欠如している』『…がない』という意に使われるが、単なる『無』〈非存在〉ではない。存在するものには、自体・実体・我などというものはないと考えること。自我の実在を認め、あるいは我および世界を構成するものの永久の恒存性を認める誤った見解を否定すること。無実体性。かりそめ。実体がないこと。固定的でないこと。云々」
 とあり、同書で【縁起】を見ると、
「(1)因縁生・縁生・因縁法ともいう。他との関係が縁となって生起することをいう。〈Aに〉縁って〈Bが〉起こること。よって生ずることの意で、すべての現象は無数の原因(因)や条件(縁)が相互に関係しあって成立しているものであり、独立自存のものではなく、諸条件や原因がなくなれば、結果(果)もおのずからなくなるということ。仏教の基本的教説。現象的存在が相互に依存しあって生じていること。理論的には、恒久的な実体的存在が一つとしてありえないことを示し、実践的には、この因果関係を明らかにし、原因や条件を取り除くことによって現象世界〈苦しみの世界〉から解放されることをめざす。仏教では演技している事実のほかに固定的実体を認めない云々」
 とある。
 どちらもの同じことを言っているのが分かると思います。強いて言えば縁起は事象の生起を、
「これがあるからこれが生じる。これが生じたからこういう結果が生まれる」
 というように説明しているのに対して、空の方は、
「こういう結果がああるがこれは実在ではない。なぜならばこれとこれによって仮に生じたからだ。しかし、これとこれも実在ではない。あれとあれによってそれらが仮に生じたからだ」
 と逆のベクトルで説明しているということが言えます。
 要するに原始仏教の「縁起」が表現を変えて、大乗仏教の「空」として登場したわけです。そして龍樹(ナーガールジュナ)の登場により、「空」は非常に精緻で複雑な教義へとなっていくわけです。

コメント 3件

金剛居士
金剛居士さん

2013/04/14 [16:05]

愚道さん、こんにちは。

 原始仏教は縁起を根本教理とし、大乗仏教は空を根本教理とする、というのは大枠で正しいと思います。しかし、原始仏教で空が全く説かれなかったわけではありません。愚道さんも御存知のことでしょうが、今回はそのうちの一つ、小空経を紹介しておきます。


小空経
漢訳:中阿含経 一九〇経(『大正蔵』一、736下~738上)。
T0026_.01.0736c27: 中阿含雙品小空經第四第五
大蔵経テキストデータベース(http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/)に行って「小空經」で検索するとすぐに出てくる。

『マッジマ・ニカーヤ』第121経(PTS Text,MN.Vol.3,pp.104-109.)
CSCD Tipitaka(Roman)( http://www.tipitaka.org/romn/ )の、Tipiṭaka(Mula)> Suttapiṭaka > Majjhimanikāya > Uparipaṇṇāsapāḷi > 3. Suññatavaggo > 1. Cūḷasuññatasuttaṃ(176~184)


現代語訳
心にしみる原始仏典
http://homepage1.nifty.com/manikana/canon/sunna.html

ここから、さわりの部分を抜き出して、それに対応するパーリ語も添えておきましょう。


「以上のように、そこ(A)に全くないそのもの(B)によって、そこ(A)を空であると見る。なおまだそこに余ったものがあるとき、在るところのそれを、「それはある」と知る。
このように、かれには、アーナンダよ、この、如実であって転倒なき清浄な空性が顕現し存在している。」

Iti yañhi kho tattha na hoti tena taṃ suññaṃ samanupassati, yaṃ pana tattha avasiṭṭhaṃ hoti taṃ ‘santamidaṃ atthī’’’ti pajānāti.
Evampissa esā, ānanda, yathābhuccā avipallatthā parisuddhā suññatāvakkanti bhavati.


「アーナンダよ、過去の時において、清浄であって最高にして無上な空性に達して住していた沙門やバラモンたちは、みなすべて、まさしく、清浄であって最高にして無上な空性に達して住していたのである。」

Yepi hi keci, ānanda, atītamaddhānaṃ samaṇā vā brāhmaṇā vā parisuddhaṃ paramānuttaraṃ suññataṃ upasampajja vihariṃsu, sabbe te imaṃyeva parisuddhaṃ paramānuttaraṃ suññataṃ upasampajja vihariṃsu.


 空(suñña)も空性(suññata)も言葉として出てきますね。後代の仏教用語を使えば、Bに相当するのが自性です。そして空性は、対象(A)のなかに自性(B)を見ない(またはそこに自性が無いこと認識した)瞑想の境地を意味していると言えそうです。

 般若心経の照見五蘊皆空(サンスクリット文では、「五蘊があり、そしてそれらを自性空と見た。」)は、原始仏教にすでにあったことになりますね。





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愚道
愚道さん

2013/04/15 [14:30]

 金剛居士さんのおっしゃるように、原始経典中に「空」もいくつか出てきますね。ただ、やはり「縁起」が中心でそのバリエーション的な感じだろうと思います。
 一方、大乗仏教は「空」をとにかく前面に押し出しますね。縁起も出てきますが、やはり「空」の方が主役だと思います。
 いずれにしても本質的には同じことを言っています。一切のものも現象も何から何まで、「縁起」であって、「空」であり、実在するものはなにもない。当然、「苦」も「縁起」しているものであり、「空」であるから、その原因(直接原因=因、間接原因=縁)をなくせば、「苦」も消滅する。苦を転じて楽とすることもできる。そこに仏教の救いがあると言えるでしょう。


金剛居士
金剛居士さん

2013/04/17 [21:12]

 愚道さんの発言に全面的に賛成です。

 さて、私は重大な思い違いをしていたので、ここで訂正しておきます。

 (B)を自性と見なすのは、この経の文脈からは必ずしも正しくはありません。

 むしろ、そこ(A)は行者の想いの空間であり、(B)は捨てられるべき想いと見なすのがいいでしょう。禅定が深まるにつれて、以下の想いが順次、空ぜられていきます。そして、より本質的なものだけが残ります。

村についての想い(およびそれに起因する不安)
人についての想い(およびそれに起因する不安)
森についての想い(およびそれに起因する不安)
地についての想い(およびそれに起因する不安)
空無辺処についての想い(およびそれに起因する不安)
識無辺処についての想い(およびそれに起因する不安)
無所有処についての想い(およびそれに起因する不安)
非想非非想処についての想い(およびそれに起因する不安)

 最後の無相心三昧で残るのは純粋意識のようなものなのでしょうか。しかしそれさえも作られたものであり、思念されたものであるとして超越されていきます。そうすると少なくとも想いは完全になくなってしまいます。ここで「想い」と訳されているsaññāは色受想行識の想ですから、「想即是空」を意味していることになりますかね。だが、空だと自覚する意識はどうなのか?


 最初の段階は、欲にまみれた対象(A)から欲にまつわる想い(B)が消え、自性から成る説一切有部的な観念世界が残ります。そして、第二段階になると、有部的な思索的世界(A)から自性(B)が消え、あるがままに見る純粋意識(?)だけが残ります。この第二段階が般若心経の自性空の認識なのでしょう。しかし,さらにそのような認識も縁起した有為のものだという認識に到達します。





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