インドと釈尊【原始仏教関連】のトピック

因縁法頌
2011/09/17
投稿者
愚道
内容
 智慧第一の仏弟子であるサーリプッタがまだ外道の出家だったとき、仏弟子のアッサジに出会い、その行住坐臥に感心したサーリプッタは、アッサジの師とその教えについて訊ねました。そこでアッサジは、
「あらゆるものには必ず原因があり、それによってあらゆるものが生じるのです。如来はそれを説き示されます。さらにその滅尽についても解き明かされるのです」
 と答えました。これは「因縁法頌」と呼ばれ、あらゆるものが因縁に依って生じ、また因縁によって滅するという仏教の根幹をなす教義であり、これの表現を変えたものが「空」です。
 釈尊の説かれた経典ではありませんが、「空」を簡潔に説いたことで秀逸と言える『般若心経』の冒頭には、「観自在菩薩は深般若波羅蜜多を行ぜる時、五蘊皆空と照見して一切の苦厄を度したまえり」とあります。五蘊皆空でも一切皆空でもよいのですが、五蘊が空であると悟った(あるいは体得した)時点で、一切の苦厄から救済された、または一切の苦厄から衆生を済度した、と言うことになります。
 なぜ五蘊が空であると悟る、あるいは体得することで一切の苦厄から救われるのでしょうか?
 因縁法頌にあるように、すべてが縁起であり、因縁所生のものだから、現在自分が感じている苦もなんらかの因縁によって生じたものであり、その因と縁をなくせば苦しみは消えると悟れるからです。もちろんこのように空を悟ることは「空の入り口」であって、「それだけではすぐに苦の原因は消えず、「因縁空」にする行を経て、実際の空を獲得するところまで行くことが必要です。しかし、因縁空の真理を悟った瞬間から、苦は解決し始めます。
 故に五蘊皆空、一切皆空を悟り、五蘊が縁起によるものであり、一切が縁起によるものであることを悟ることは、仏教修行の出発点になるわけです。

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