禅堂のトピック

喫茶去(きっさこ)雑談トピック
2011/02/23
投稿者
乱義
内容
雑談トピック

喫茶去
直訳だと 茶飲んで帰れだが

茶でも一杯召し上がれ という気持ちです
まぁ落ち着いて ちょっと語ってみてください

コメント 12件

愚道
愚道さん

2011/02/23 [20:55]

 なにかの本に「喫茶去」の訳を、「まぁ、一服」としておりましたのを思い出しました。お茶をゆっくりと飲んで心安らかになると、ふだん見えていないものが見えてくるような気がします。
 ところで、ご返杯は禅語風にいうとどうなるのでしょうね。(^_^;)


乱義
乱義さん

2011/02/24 [09:14]

お茶に返杯があるのかと検索してみましたが

まぁ茶懐石の時のお酒の話ししかなかった(笑)

では 注杯呑 かな

うーーん禅的ではないか


金剛居士
金剛居士さん

2011/02/24 [19:57]

興に任せていい加減なことを言いっぱなしにしておくのもマズいかなあと思って、補足。

喫茶去の「去」は、正しくはおそらくは「動詞のあとについてその動作の継続や趨勢などを表わす助字」でしょう。

つまり、

  茶を喫することを継続せよ、その状態でおれ。

の意味だろうと思います。ですから、助字の用法と考えれば喫茶去は「お茶でもどうぞ」の意味になるわけです。

もちろんここには「目覚めておれ!」の含意もあるでしょうが、ティータイムはのんびりとした平常心のひととき。「その全くなんの構えもない平静な状態を深く深く探っていけ。」という意味と捉えてもいいでしょう。

  お茶を飲んでいけ

という場合の「いく」は、いわば現在進行形(be going to ~)で、「お茶を飲みつつあることをせよ」を意味しているわけです。

しかしながら私としては、喫茶去には

  目覚めて彼岸へ渡っていけ

という象徴的な意味があるかもよ、などと言ってしまいたくもなります。

あらゆることを悟りへの契機としてしまうのが禅宗です。



ま、それでなくともお茶にはケーキがつきもの。

               ・・・という話ではなかった。






~Φ 金剛居士 Ψ~
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か
かさん

2011/02/24 [20:27]

色々解釈があるんですね~…
私のこの前買った本に、喫茶去は「誰とでも分け隔てなく相対する」という風に書いていたので、ずっとその解釈が普通だと思ってましたf^_^;)


乱義
乱義さん

2011/02/26 [00:04]

誰とでも分け隔てなく相対する = 茶でもいっぱい召し上がれ

同じだと感じるには、もう少しかかるでしょう


金剛居士
金剛居士さん

2011/02/26 [19:44]

gyaku10/逆転さん

茶と禅は精神的に一致する部分がありますから、
いつか習ってみるといいと思いますよ。
茶道をやっている人で禅にも通じている人は稀ですが、
作法の中で自分なりに感じるところは多々あると思います。


か
かさん

2011/02/26 [21:37]

>>乱義さん
ありがとうございます。
同じなんですか… 頭がクエスチョンマークでいっぱいです

>>金剛居士さん
ありがとうございます。僕は幼稚園生の頃授業で少し茶道をやったことがあります…が全く覚えてないですf^_^;)
いつかやってみたいと思います


金剛居士
金剛居士さん

2011/03/06 [22:14]

茶話のついでに・・・


瑩山禅師に、「茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯を喫す。」という言葉がある。

茶が目の前に出てきた時にはその茶を飲み、飯が目の前に出てきた時にはその飯を食う。これは、何に出会ってもそれを淡々と受け容れるということ。そして、自らの臨終に逢ったらそれもまた従容として受け容れる。禅においてはこれがいちばん大事。

自己が完全に終わりになる、すなわち自己が完全に無になった時にのみ、あらゆるものをそのまま受け容れられるようになるからである。大死一番、絶後に蘇える。それが禅の大目標だから、御臨終の時に初めて自己の無を受け容れたのではちと遅い。


乱義
乱義さん

2011/04/14 [22:39]

さて独り言をつぶやくか

修行とは 修得する行で有って

我慢することではない

我慢という気持ちがあるウチは修行ではない

どうも最近 苦行自慢するヤツが多くまったく何してきたんだと思う

苦しいとか耐えてるなんてのは当たり前のこと
誰でも苦しいし誰でもいっぱい堪え忍んでるが

それを超して修得する気持ちがあれば苦しいとか耐えるとかは
微々たること
 
修得したり前に進む喜びというか
まぁこれも欲なのだが

そういうことに神経を集中していくことが大事だと思う

まぁ自分は落ちこぼれなので
いかに楽しく 修行をするか?を本分に
たしかに苦しかったり制限は大きかったけど
それ以上に得たものはあったよ

耐えたことによりえるものはある
苦しんだおかげで楽しみが倍になる

そんなおかげで周りからは悩みがないとか
困ったことがないとかいわれるが
悩んだり困ったりするのが人間
生きているからこその悩みであり苦しみ

苦しみを耐え忍ぶより
努力して楽しみを見つける

それは生活が変わらなくとも
意識を変えるだけのことで
人生は変わるものだと

それを気づかせてくれた
修行に感謝。

もちろん精神力が大きければ

より多くの苦しい道へ苦行を持って行き
おい詰めていく大物になるべくの怪物もいるが

怪物でない普通の人は自分の意識が壊れることもある
自分も修行中、精神的な病で修行をやめざるえなかった
人を見たときに まぁ修行に入ったばかりで自分自身
軽い鬱状態だったが
いかに自分を守るかが必要だと感じて
精神的にも肉体的にもそして時間的にも
いかにすれば余裕を持てできるかを頭を使って
体も使って
そして自分を守ってやってきた

自分を守れるのは自分だけ
まじめすぎるに越したことはないが
もし肉体的にも精神的にも続けることが先決
マジメにやって続かないと感じたら
どうしてできないのかを効率的に考えることができなくなり
精神的に追い詰められたなら。

どうやったら息が抜けるかを考えた方が良い

手を抜くのではない 工夫が必要なのだと
自分は思う

時の老師のおつきをしてるとき
夏の盛り 

皆が臭いので水浴びさせて良いかと聞きに来た
偉いまじめな修行僧

あとで老師が私に言った
そんなもの 自分たちでこそっと水を浴びればいいことで
ワシに断ることではない なぁ。。。

とね

はいはい 老師のいないとき老師専用の浴室使ってシャワー浴びてたの
バレバレでしたのね(笑)
現代の公案

まぁ 活きるってそんなもんさ

そこの アナタ

今 5分間余裕があったら
5分しかないと感じてるでしょ

5分もあるんだって
とりあえず意識を変えてみましょうね

もう -> まだ
しか -> も

に 何か思ったときに変換し直して
考えると良いよ

まぁ待ち時間に5分しかなくて
5分もあるとゆっくり行って
間に合わないのは論外だけどね

しなければいけないことがある時こそ
しなくて良いことを探そう

考え方の問題です。

そんな独り言
独り言なので
異論があっても反論はないのであしからず(笑)


貞太郎
貞太郎さん

2011/04/15 [12:43]

独り言に感謝するののもなんですが。

>怪物でない普通の人は自分の意識が壊れることもある
>自分も修行中、精神的な病で修行をやめざるえなかった
>人を見たときに まぁ修行に入ったばかりで自分自身
>軽い鬱状態だったが
>いかに自分を守るかが必要だと感じて
>精神的にも肉体的にもそして時間的にも
>いかにすれば余裕を持てできるかを頭を使って
>体も使って
>そして自分を守ってやってきた

修行あっての独り言とは思いますが、なんの修行もしていない私ですが、励まされました。ありがとうございました。