インドと釈尊【原始仏教関連】のトピック

輪廻転生について
2011/01/25
投稿者
愚道
内容
『雑阿含経・血経』に、
「衆生は無始生死より無明に蓋われ、愛は其の頸に繋ぎ、長夜に生死輪轉(注=輪廻転生の略)して苦の本際を知らず」
 とあり、『雑阿含経・涙経』、『雑阿含経・母乳経』、『雑阿含経・草木経』、『雑阿含経・土丸経』以下、一連の21経で「衆生は無始の生死に長夜に輪轉して苦の本際を知らず」
 という記述があります。
 それ以外にも輪廻転生に関する記述が原始経典群のここかしこにあることから、私は輪廻転生を信じておりますが、皆さんはどうでしょうか?

コメント 18件

来生
来生さん

2011/02/03 [20:13]

 愚道さん、金剛居士さん 今晩は

 お二人の会話に割り込んで失礼します。

 >精神(しょうじん)は第六識の場合もありますが、ここではそうではなくて(したがって受想行識のことではありません・・・金剛居士さんには分かるでしょうが分からない人もいるので)、輪廻の主体としての霊魂を指します。(那先経)

 判らない人が登場し、やはり判らないのでお尋ねします。

 精神や霊魂は・・(したがって受想行識のことではありません・・・)との仰せですが、それは人間のどの部分でしょうか?

 般若心経では人間は五蘊で構成されると記述されています。
受想行識のことでは無いとしても、まさか色の中ではないですよね?

 すると人間は五蘊プラス霊魂で出来ているのでしょうか?

 私は霊魂は受想行識に含まれていると考えていましたが、なぜ受想行識のことではないのか教えてください。


愚道
愚道さん

2011/02/03 [22:55]

金剛居士さん

viññāṇaとpudgalaの関係についてはどう思われます。


愚道
愚道さん

2011/02/05 [21:34]

『法句経』生死品第三十七
生死品者。説諸人魂霊亡神在。随行転生。
〔意訳〕生死品とは、諸々の人に霊魂があって、行いにしたがって転生することを説くものである。

是身為死物 精神無形法 仮令死復生 罪福不敗亡
〔意訳〕この身は死物となっても、霊魂には形はなく、たとえ死んでもまた生まれ、生前の罪福が滅することはない
精神【しょうじん】…霊魂のこと

終始非一世 従癡愛久長 自此受苦楽 身死神不喪
〔意訳〕人間の終始は一世だけのものではない。無智で愛欲にふける時も計り知れぬほど長く、各生ごとに自ずから苦楽を受け、体は死んでも霊魂は喪われることはない。
神【じん】…霊魂のこと


来生
来生さん

2011/02/06 [16:28]

 愚道さん

 今日まで待ちましたけれど、返事はいただけませんでした。

 >vinn??aとpudgalaの関係についてはどう思われます。

 他人には返事を催促して、他人の問いには答えないとは、ずいぶん身勝手ですね。

 愚道さんは見かけによらず、しかも仏教徒に似合わず包擁力の無い、議論より快不快の感情を優先する、度量の狭い人ですね。
 意地悪く想像すると、異端者とは口も聞かずに排除し、愚道ファミリーの仲良しこよしの中でぬくぬくとお山の大将に自己満足し居ることが原因ではないでしょうか?この態度ですと下手すると論語読みの論語知らずになりかねません。

 愚道さんが一投稿者なら何も言いません。このトピックスは愚道さんが立ち上げた主宰者です。その立場もわきまえず、投稿者に対して快不快で差別するとは言語道断で無礼千万ではないですか?

 愚道さんがここを立ち上げてしばらくコメントが無かったので、枯れ木も山と投稿しました。

 輪廻転生こそは葬式仏教から救済仏教に転換する唯一の論拠だと思ったからです。
 
 そして愚道さんがこれに最も近い伝道の人と思い、その人がまだ「信ずる」程度の気弱な論理でどうすると、エールのつもりで苦言を呈したのです。

 過去を含め私に対する不快な先入観が、この空気を読めなくしたのでしょう。先入観さえなくして、話し合うチャンスがあれば、お互い分かり合える筈だと思っています。同じ転生主張者でなのに、何で非難することがありましょうか?

 もっと輪廻転生を声高に叫び、愚道さんが救済仏教の旗手になることを頼みにしています。

 私事で恐縮ですが、今年傘寿を迎え余命幾ばくも無い者が、この厳粛な仏教フォーラムを、悪ふざけで掻き回しているとでもお思いですか?

 私は素人ですから、深い論理は何も知りません。しかし般若心経だけは文章も短いし、多くの解説もありますので親しんでいます。その解説に疑問点があったので異説を提唱し、せめて誰か一人でも、専門家の理解が得られたらと焦っています。

 素人の提唱では、戯論に付き合えないと軽蔑され切り捨てられます。大げさに言えば、ドンキホーテや地動説のガリレオの思いです。

 少なくとも「色即是空」は科学的に解明可能な、人体に関する事項です。事実にダブルスタンダードがあってはならない、というのが私のスタンスです。

 詳細は別のトピックスに譲りますが、現在まだ確定していないので「我田引水」とことわりました。空がエネルギーと確定すれば、受想行識にも質量があることは科学的事実です。貞太朗さん宛てに引用したように、それを心経の中で釈尊が明示しています。

 般若心経でこのことを知るまでは、私も受想行識が質量を持つとは思いも及びませんでした。

 私は論理を尽くしているつもりです。感情を抜きにして、論理的な反論をお願いします。

 私の論理が間違っていると判ればいつでも撤回する用意があります。


金剛居士
金剛居士さん

2011/02/06 [19:25]

愚道さんが引用したのは、大蔵経テキストデータベースでいうと、本縁部の法句経(No. 0210) 0574a06-07,0574a12-13,0574a14-15 の部分ですね。

そして、この箇所は中村元の訳した『ブッダの真理のことば 』(パーリ語では、CSCDTipiṭaka(Roman)の、Tipiṭaka (Mūla) > Suttapiṭaka > Khuddakanikāya> Dhammapadapāḷi )には載っていない部分です。パーリ語聖典では、法句經第三十五の梵志品に相当する「バラモン」の章までしかありません。

南伝(パーリ語)には無くて北伝(漢訳)だけにあるとなると、この部分は弟子が勝手に付け加えただけでゴータマ・シッダッタの真正な言葉ではなかった疑いもありますね。

それに、漢訳の中に中国的な思想がたくさん混入している可能性もあります。「魂霊」「神(じん)」「精神」を概念的にどう区別すべきかも問題になります。




~Φ 金剛居士 Ψ~
当SNS入会希望者は http://buddhism.sns.fc2.com/
ブログ發心門 http://kongou-koji.tea-nifty.com/blog/
お薦め仏教書 http://kongoukoji.fc2web.com/


愚道
愚道さん

2011/02/06 [22:14]

金剛居士さん
結局は識(viññāṇa)になると思うのですが、生きているときの識と神識や心識、精神とを同一に見るかどうかが問題になると思います。私は生きているときの識と、死後に存続する識とはまったく同一であるとは考えておりません。ですから生きているときに霊魂があるとも考えておりません。死後存続する特殊な識、これをわれわれの使う言葉で言えば霊魂と言うしかないのだと思います。漢訳経典の翻訳家もだいたい同じように考えたからこそ、わざわざ識とは違う訳語として、神識、魂神、精神、心識などの言葉を考えたのだと思います。


来生
来生さん

2011/02/07 [16:05]

 愚道さん

 とんだ場違いでした。

 薄々ここは素人が入る場所ではないとは感じていながら、素人が喜ぶ「設問」にうっかり飛び込みました。ついでに貞太郎さんまで巻き込みました。
 貞太郎さん ありがとう。そしてごめんなさい。

 今の議論の経緯をお望みなら、「設問」の仕方が不適当ですね。例えば「輪廻転生を信ずるべく、多くの経文にその記述がありますが、どうお考えですか?例えば・・・・・」とでもあったのなら、素人には手が出せません。

 民衆から離れたところで、きらびやかな重箱を開いておたのしみですか。日本仏教は平和ですね。

 いずれにしても、第三者との会話で他人を揶揄し、そのことでの当人の質問にだんまりを通す卑劣さは、主宰者、とりわけ心を対象にする仏教徒にはあるまじき行為であることと念を押しておきます。

 では早々に退散退散。、


金剛居士
金剛居士さん

2011/02/11 [23:59]

愚道さん

 生きている時と死後では識のあり方が違うというのは、斬新なアイデアだと思います。それについてはいろいと考察してみると面白いかもしれませんね。

 私が識の話をすると、当然ながら唯識仏教の話になってしまいますので、ここではしばらく原始仏教のあたりで批判的見解を述べていこうと思います。

 まず、魂霊,精神,神,識などの概念の違いについてですが、漢訳は、やはりパーリ語やサンスクリット語との対応でしか意味がはっきりしないと思います。そこで、大蔵経テキストデータベースで阿含部・本縁部に範囲を限定して検索するとよいと思います。本縁部は必ずしも原始仏教そのままの思想を伝えているとは言えませんが、大乗仏教より前の段階(部派仏教あたり?)と見なしてよいと思います。

 まず、魂霊に関してですが、『法句経』(法救撰・維祇難譯)では愚道さん引用の部分しかありません。したがって、これはパーリ語のアーガマ(阿含経)には存在せず、非常にいかがわしい中国的な概念ではないかと疑われます。もしもゴータマ・シッダッタが霊魂の輪廻を認めていたのだと愚道さんが主張するのなら、パーリ語聖典にある範囲内でどこまで明確に輪廻が教えられているのか明らかにすべきではないでしょうか。

 たしかアーガマ(阿含経)にも昇天の話があったので、ゴータマ・シッダッタが輪廻らしきことを言っていたとは思います。しかし、輪廻について何が彼によって語られてい“ない”かを明らかにすることも重要ではないかと思います。愚道さんの引用部分は後代の付加あるいは迷信である可能性もありますから。


 「霊」というキーワードで阿含部だけを検索した結果を引用しておきます。阿含経という名がついている経典では、いわゆる霊魂の意味では出てきません。


【別譯雜阿含經】
靈鷲山 (という熟語でしか出て来ない)

【増一阿含經】
靈鷲山 (という熟語でしか出て来ない)

【長阿含経】
佛現如靈瑞(T0001_.01.0026b17)……〔靈瑞〕霊妙な瑞兆
佛以無爲住 不用出入息 本由寂滅來 靈曜於是沒(T0001_.01.0026c27-28)……〔靈曜〕靈耀?
八名靈醯嵬(T0001_.01.0132b26-27)……インドラ配下の名

【般泥洹經】
佛已無爲住 不用出入息 本由自然來 靈耀於是沒(T0006_.01.0188c16-17)……〔靈耀〕不思議な輝き,日月。


【佛説頻羅婆裟羅王經】
爾時世尊而起思念。我今可往杖林山中靈塔之處。(T0041_.01.0825a27-28)
住杖林山靈塔之處。(T0041_.01.0825b01-02)

【佛説阿羅漢具徳經】
復有聲聞於靈塔處而先受請。(T0126_.02.0831b23)
有大速通力 靈塔先受請(T0126_.02.0833a24)

【梵摩渝經】
心意識魂靈 能滅衆苦不(T0076_.01.0885b03)
時哉値覩佛極靈。(T0076_.01.0886a07)

【佛説五蘊皆空經】
由自悟而證涅槃。我生已靈。梵行已立。(T0102_.02.0499c25)

【佛説力士移山經】
時諸力士。見佛神變 威靈顯發。(T0135_.02.0858a27)

【佛母般泥洹經】
吾當先息靈還乎本無矣。佛一切智具照其然。(T0145_.02.0869b22)
還靈本無淨過虚空。(T0145_.02.0870b22)



 本縁部では、六度集經の中に「魂靈」という熟語がよく出てきますし、その他、「生靈」「神靈」という熟語が出てくる経典もありますね。

 また、検索してみると、輪廻する主体は「精神」のようですね。この原語は明らかにしていく必要はあるかと思います。





~Φ 金剛居士 Ψ~
当SNS入会希望者は http://buddhism.sns.fc2.com/
ブログ發心門 http://kongou-koji.tea-nifty.com/blog/
お薦め仏教書 http://kongoukoji.fc2web.com/


愚道
愚道さん

2011/02/12 [14:35]

 金剛居士さん
〔神識〕
「若命終時此身若火焼。若棄塚間。風飄日曝久成塵末而心意識久遠長夜正信所熏。戒施聞慧所熏。神識上昇向安楽処。未来生」雑阿含経・自恐経
〔識〕
「阿難。縁識有名色。此為何義。若識不入母胎者有名色不。答曰無也。若識入胎不出者。有名色不。答曰無也。若識出胎嬰孩壊敗。名色得増長不。答曰無也」
 というのもあります。
 前者は神識が死後に安楽処に向かうことが、後者では識が母胎に入る様子が説かれています。


愚道
愚道さん

2011/02/13 [11:53]

 金剛居士さん
 後者は長阿含経・大方便経です。