インドと釈尊【原始仏教関連】のトピック

法燈明・自燈明
2011/01/04
投稿者
愚道
内容
 法燈明・自燈明に関していろいろと自説を展開される方が少なくありません。
 しかし、その原文と前後を実際に読んでいる人が少ないようです。
法燈明・自燈明を説いているのは、原始仏典では『長阿含経』の『遊行経』です。 ここにはこうあります。
「自らを熾燃とし、法を熾燃とし、他を熾燃とすることなかれとはどういうことか? まさに自らに帰依し、法に帰依し、他に帰依することなかれとはどういうことか? 阿難よ、比丘は内なる身体を観察して、努め励んで怠らず、臆念して忘れず、世間の貪りと憂いを除く。外なる身体を観察し、内外の身体を観察し、努め励んで怠らず、臆念して忘れず、世俗の貪りと憂いを除く。感受作用や心や法についても同様に観想する。これが、阿難よ、自らを熾燃とし、法を熾燃とし、他を熾燃とすることなかれということであり、自らに帰依し、法に帰依し、他に帰依することなかれということである」
 要するに四念処観を実践することが法燈明であり、自燈明であるということです。これは四念処観であると同時に、四念処観をはじめとする三十七菩提分法を指しているとも考えられますが、結局のところは釈尊の説かれた修行法を実践することが法燈明・自燈明であるということなのでしょう。

コメント 6件

貞太郎
貞太郎さん

2011/01/06 [09:29]

愚道さん、こんにちは。

浅学の身には勉強になります。

「釈尊の説かれた修行法を実践することが法燈明・自燈明であるということなのでしょう。 」は私なりに理解できます。

ところで「四念処観」「三十七菩提分法」とはどういったものでしょうか。


愚道
愚道さん

2011/01/06 [11:33]

貞太郎さん、こんにちは。

四念処観というのは、
(1)この身は不浄なり
(2)受は苦なり
(3)心は無常なり
(4)法は無我なり
と観想していく瞑想法です。

三十七菩提分法とは三十七道品ともいい、
1,四念処観
2,四正勤
3,四如意足
4,五根
5,五力
6,七覚支
7,八聖道
の総称です。釈尊はこれらの修行法を必ず実践せよ、これによって解脱が得られる得られると原始経典群で何度も何度も説かれているのです。


金剛居士
金剛居士さん

2011/01/20 [17:46]

自燈明・法燈明の箇所は、中村元『ブッダ最後の旅』(岩波文庫)2章の末尾にあり、その26に相当する箇所を引用しておくと、


 それゆえに、この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。
 では、修行僧が自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとしないでいるということは、どうして起こるのか。
 アーナンダよ。ここに修行憎は身体について身体を観じ、熱心に、よく気をつけて、念じていて、世間における貪欲と憂いとを除くべきである。
 感受について感受を観察し、熱心に、よく気をつけて、念じていて、世間における貪欲と憂いとを除くべきである。
 心について心を観察し、熱心に、よく気をつけて、念じていて、世間における貪欲と憂いとを除くべきである。
 諸々の事象について諸々の事象を観察し、熱心に、よく気をつけて、念じていて、世間における貪欲と憂いとを除くべきである。
 アーナンダよ。このようにして、修行僧は自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとしないでいるのである。
 アーナンダよ。今でも、また私の死後にでも、誰でも自らを島とし、自らをたよりとし、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとし、他のものをよりどころとしないでいる人々がいるならば、かれらはわが修行僧として最高の境地にいるであろう、――誰でも学ぼうと望む人々は――。



 一方、パーリ語聖典のサイト(http://www.tipitaka.org/romn/)の、Tipiṭaka > suttapiṭaka > Dīghanikāya > Mahāvaggapāḷi > 3. Mahāparinibbānasuttaṃ の、165の後半がこれに当たります。そこでは、


 Tasmātihānanda, attadīpā viharatha attasaraṇā anaññasaraṇā, dhammadīpā dhammasaraṇā anaññasaraṇā.
 Kathañcānanda, bhikkhu attadīpo viharati attasaraṇo anaññasaraṇo, dhammadīpo dhammasaraṇo anaññasaraṇo?
 Idhānanda, bhikkhu kāye kāyānupassī viharati atāpī sampajāno satimā, vineyya loke abhijjhādomanassaṃ.
 Vedanāsu…pe…
 citte…pe…
 dhammesu dhammānupassī viharati ātāpī sampajāno satimā, vineyya loke abhijjhādomanassaṃ.
 Evaṃ kho, ānanda, bhikkhu attadīpo viharati attasaraṇo anaññasaraṇo, dhammadīpo dhammasaraṇo anaññasaraṇo .
 Ye hi keci, ānanda, etarahi vā mama vā accayena attadīpā viharissanti attasaraṇā anaññasaraṇā, dhammadīpā dhammasaraṇā anaññasaraṇā, tamatagge me te, ānanda, bhikkhū bhavissanti ye keci sikkhākāmā’’ti.


となっており、「諸感受においては(Vedanāsu)……」と「心においては(citte)……」の部分は省略されています。また、岩波本で「事象」と訳されている部分はdhammesu(諸法において)です。





~Φ 金剛居士 Ψ~
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愚道
愚道さん

2011/01/21 [13:15]

金剛居士さん、結局、パーリ聖典でも四念処観を実践することが法燈明・自燈明であると示唆しているわけですね。
ところでパーリ文のローマナイズはきれいに発音記号も出ておりますが、これはどうやって入力されているのですか?


金剛居士
金剛居士さん

2011/01/21 [19:34]

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愚道
愚道さん

2011/01/22 [14:30]

金剛居士さん

ありがとうございます。